山姥切国広と本作長義の相違点
本科が現存していて、国宝or重文の刀となる写しは山姥切国広だけではないだろうか。
料理の本の写真を見せてこれを作ってほしいと客に依頼されたプロの料理人が、
材料とか作りかたを考え、客の好みに合う味に合わせしつつ、見栄えや栄養もプロがより良くなるよう考えて作ったら本通りに作るとは違う魅力のある料理ができた。その料理が素晴らしくて特別な名前をつけた。といった感じだろうか。(その後本に載った料理の方の名前だと勘違いした人が出るが、出版元が誤情報であると訂正された。)
写しなのだからそっくりそのまま写すことのみが評価になると思っている人とか、写しは本科を超えならないと言ってる人もいるが、
山姥切国広は、本科と違う(あえて堀川国広氏がアレンジしたところ)も好意的に良いと捉えられてる。
"しかも単なる模作ではなく、地刃の働きと、すすどしさは長義をさらに強調し、放胆の味さえ加わって長義の作中にあっても出色のものと云い得よう"(堀川国広とその弟子)
"本品(長義)と山姥切の両者は峰の形状と樋先の位置関係などは正確だが、反りを含めた全体の姿形と、茎仕立てはあまり似ていない。当時の刀工が持つ写についての意識と、現代の復元模造に対する意識の違いが表れていて興味深い"(京のかたな 特別展 図録)
昔は写しも、作成する刀工のオリジナリティを活かした、一つの作品だったそうだ。だからこそ、山姥切国広は写しの傑作ではなく、国広の傑作なのだろう。
そういえば、蛍丸の写しを作成された刀工も、自分らしい蛍丸を作りたいと言われていた。それが、本来の写しというものなのかもしれない。
つるぎの屋さんが詳しく解説されていた。
堀川国広は大磨上である本歌:本作長義(山姥切長義)の写し:山姥切国広を製作するにあたり、本歌の単なるコピーではなく、刀姿も姿形やバランスを調整し、鎺元は実用的に焼きを低くするなどのアレンジや創意工夫がみられるようです。
— つるぎの屋@日本刀買取専門店 (@tsuruginoya) 2017年3月4日
・刃文は、まず、刃区から4~5cmが焼出しのように焼きが低くなっています。これは室町時代の刀剣に多くみられ、刀身を鎺元から折られないように意識的に焼きを低くしているようでした。
— つるぎの屋@日本刀買取専門店 (@tsuruginoya) 2017年3月3日
違いを色々解説されている。
山姥切国広には1本の刀として美しく見えるようカーブを変えてある。実践向けに折れにくい刀となるように焼きを低くするなどの創作工夫がある。
長義の波紋は心電図のような規則正しさがある。
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私は足利と京博で両方見たのだが、山姥切国広の波紋は、険しい山々を彷彿とさせると思った。
山姥切国広は切っ先が大きく、打刀としては幅広であり大きめの(その大きさに反して厚みは薄い)かっこいい刀だ。比較することにより、長義の方が大きくどっしりとして、山姥切国広の方がすらっとしてメリハリがあるというように、見方に変化があった。堀川国広氏の刀を作刀するときの心構えや技術や創作工夫がわかる。
堀川国広に写しの作成を依頼した、当時の堀川国広氏の上司にあたる長尾氏が、山姥切国広の出来を大層気に入って長義の刀にも銘入れを頼んだという。
(本作長義は)その出来もさることながら、茎に刻まれた長文の切付銘が何にも増して貴重である(京のかたな 特別展 図録)
柳生長義と長尾長義。長尾長義は国広が銘を切って重要文化財になった。(2017/3/20 足利 ワークショップ)