ボールペンは何色がベストなのか

多色ペンは黒と青と赤とシャープペン機能が必要

という結論。

仕事に赤黒シャープペンは必ずいるし、手帳には黒=私用、青=仕事用で書き込む為。

でも、重くて太いペンは嫌だ…

 

現在使用している仕事用ペン

三菱鉛筆 ジェットストリーム 多機能ペン 2&1 0.5mm

f:id:fumikirimae:20190114201844j:image

メリット

・赤&黒&シャープペンシル

・スリム

・0.38mm

デメリット

・青も欲しい

・色の切り替えがわかりづらい

 

他候補

三菱鉛筆(uni) ジェットストリーム多機能ボールペン 4色+シャープ 0.38mm

f:id:fumikirimae:20190114202956j:image

 

・ゼブラ サラサマルチ 0.4mm 4色+シャープ

f:id:fumikirimae:20190114203011j:image

 

書き味はジェットストリームだけど、視覚的にどの色か分かりやすいのはサラサ。

 

手帳はフリクションボール3 038を使っている。

f:id:fumikirimae:20190114205148j:image

メリット

・軽い

・消せる

デメリット

・太い

・字も太い

とにかくペン軸が太い。あと元から字が下手なのにさらに美しく見えない字に見えるのでテンションが下がる。

------------------------------------------------------

アクロボール3+1(3色+シャープ) 0.5mm

f:id:fumikirimae:20190114203628j:image

 

ゼブラ サラサ3+S(4機能ペン)

f:id:fumikirimae:20190114203819j:image

 

0.5mmは許容できるのか?というと、多分許容できない。字の下手な人間にとって太い線は鬼門なのだ。

 

 

空想上の生物を切るのは古刀だけ?

と言っている人がいた。出典元は名刀幻想辞典というサイトだろう。

 

しかし「怪談と名刀」という本に、新刀の刀で化け物退治をした刀がいくつか載っているという情報を拝見した(博識なTwitterの方に感謝)。

時間がある時に調べてみよう。

※調べてみた。

 

①七股政常 / 相模守政常入道 慶長二年八月日(1597年)
人間に化けた大狐を退治した刀 


②倉敷國路 / 出羽大掾国路 
大蛇を退治した刀

国路氏は堀川国広氏の弟子


③巢仙國廣 / 堀川国広 元和二年八月日(1616年)
化け狸を切った刀

(元和二年って推定されてる堀川国広氏の死去の年の二年後)
 
④有馬包國 / 駿州住包国造 慶長十二年八月日二尺三寸八分(1607年)
大河童を退治した刀
 

といった感じで本当に新刀で妖怪切りの逸話を持つ刀の話が載っていた。

 

新刀の時代は

・慶長元年(1596年)から終わりは

安永末年(1781年)

宝暦13年(1763年)

明和元年(1764年)

と色んな説があってとりあえず1763年にしておく。

 

この本は面白い。明治に入っても妖怪の逸話は出る。現代人も妖怪の話好きだし新刀に妖怪切りの刀があっても全然変じゃないわ。

この本、元々は昭和十年発行の本だが、再販されて今はkindleで買えるし刀の逸話に興味があったら是非。

 

怪談と名刀 (双葉文庫)

怪談と名刀 (双葉文庫)

 

------------------

解決したので以下は読まなくていいです。

 

https://meitou.info/index.php/山姥切

この仮説についての疑問メモ。

 

前提の資料がない

このサイトは山姥切国広より先に長義が山姥切と呼ばれていたこと前提の話が多いが、その前提を裏付ける資料が提示されていない。

長義の場合、山姥切国広の号が登場するまで山姥切と呼ばれてなかった証拠がある。

それが長義のご実家の古帳記録で、他の号付きの刀と違い、長義は一度も山姥切と書かれていない。(長義の刀をいついくらで購入したという資料はある)

 

戦国時代なら、実際の人を切った号由来の刀が沢山ある、とも言えない

化け物を斬ったという号はほとんど古刀にしかつかない理由として

・戦国時代には実際に人を斬る機会が増えたこと

・戦国末期に登場した死体での試し斬りが元和偃武以降は「御様御用」として確立・制度化したこと

をあげている。つまりこのサイトは、

・戦国時代の刀は、実物の人(生物)を切った号になる

・戦国時代に山姥切という号が生まれた

と想定しているわけだ。

なので、実在する生物を切った号を持つ新刀を探してみた結果

虎徹→石灯籠切虎徹

井上真改→籠釣瓶

など無機物を切った刀は見つかったが、実在生物を切った号の新刀が見つからなかった。戦国時代は実際に人を切っていたからといって、実在する生物を切った切れ味に由来する号持ちの新刀自体、殆どないと思われる。

 

山姥切という号は割と最近できた説

号は後世呼ばれる刀へのニックネームなので、どの刀も必ずしも生まれつき持ってるわけではない。最初から号付き前提で話を進めるのではなく、いつ頃呼ばれだしたか、その検証は必要だ。

山姥切国広も、長義も、どちらも作られた当初、山姥切じゃなかったと思われる。

 

号は作られてから何百年も経ってからつくことがある。

例えば浦島虎徹

浦島虎徹という号が生まれたのは、昭和名物になったときである。

浦島虎徹という号の由来は、刀に釣竿を背負った空想上の人物、浦島太郎が彫られているため。

しかし、小笠原信夫の「名刀虎徹」によると、浦島虎徹の彫り物は実は釣竿を背負った浦島太郎ではなく、孟宗竹の由来ともなった筍を背負った中国の孝行者・孟宗だったという説が有力らしい。

このように近世になってファンタジックな号がつくことはある。作られた当初そんな意図がなくても。

ほかに三日月や小狐丸という号も、室町時代になってから生まれたという。

 

号付きの新刀は少ない?

まるで堀川国広に号付きの刀が特別少ないかのように書いてあるのが変(布袋国広や山伏国広は地名人名以外の号でいいのでは?)

新刀の刀は古刀に比べれば号のついてる刀自体少ないし、空想上の、生き物を、切った刀、なんて、3つも具体的条件つけたらそりゃほぼヒットしないのでは。

新刀に妖怪切りの号あり得ないっていう仮説は乱暴だよな、と思う。

 

 

山姥切の号と逸話と山姥切国広と本作長義

現在、号 山姥切の確認できる最も古い史料が新刀名作集になる。

 

新刀名作集(昭和3年=1928)

押形自体は大正9年に作成されている。左下に「山姥切」の逸話もかかれているそうです。

参考元様

山姥切の逸話を追いかけた話

https://waterseed.hatenablog.com/entry/2018/08/01/225013

 

②新刀古刀大鑑 / 川口陟著/日本刀剣学会/1930

山姥切という号は出てこないが、参考に。著者かがかなりの国広ファンと見受けられページが割かれている。足利学校打、は山姥切国広のことかな。長義については書かれてない。

 

②本作長義以下略 重要文化財登録(昭和24年)

 

国広大鑑(日本美術刀剣保存協会編昭和29年=1954)

山姥切=山姥切国広。長義は長義。

 

④号 山姥切(山姥切国広)重要文化財登録(昭和37年= 1962)

 

堀川国広とその弟子(佐藤寒山著 昭和37年= 1962)

初めて、一説によると、山姥切は長義のこと、という仮説が書かれた。

 

徳美の長義は、1681年から尾張の徳川家にいたけど、尾張の古帳記録に、山姥切という号は確認できない。

いついくらで買い上げたという記載はある。(延宝九年(1681)六月 、代金 百五十二両一分)

他の号付きの刀は号がきちんと書かれている。

つまり、山姥切国広=山姥切であるという資料を元に、いつの間にか長義の刀の方も山姥切と呼ばれるようになった、ということか。

最近の本で、長義の刀の方を号 山姥切としている本見たことあるし、

そういったことが多いらしく、本作長義を所有されている徳美さんが、うちの刀は山姥切とは呼ばないって訂正してたよね。

本当、人の話とはいい加減なものだ。

 

しかし刀剣乱舞にでた山姥切長義のファンが山姥切国広を本気で(号、あるいは写しを)偽物・コピー扱いする人がいて、国広を山姥切と呼ぶな、検索で国広を出すなとモンスタークレーマー化してるらしい。自分も無知であったが、無知であることは恐ろしい。(刀剣乱舞はやらない…元ネタの刀に敬意ない感じが無理)

長義は堀川国広によって銘を与えられているから重文になってる刀で、山姥切長義は山姥切国広の号を与えてもらって存在するようなキャラなのに、偽物に号奪われただの堀川国広氏に手を入れられた長義可哀想だの、被害者面してないと死ぬのか。長義に名誉を与えた者は長義ファンに逆恨みされるからやめとけ。

この件の講演会で所有元にゲームに史実の話するな!って文句言ってたゲームの山姥切長義ファンもう終わってる。所有元はゲーム始まる前から本作長義は山姥切じゃないってしっていたそう。

むしろ長義ファンのとうらぶユーザーが史実とゲームの区別が全然ついてなくて検索結果汚染したり史実の刀と所有者に心労かけるなと。金だけ落とせと。

 

f:id:fumikirimae:20181126220444j:image

刀剣春秋 776号

刀工の刀の価格

骨董品業界なので、刀は古ければ古いほど価格が上がる傾向ある。国宝になるのも古刀のみである。しかし、昨今、古刀を超える価格の新刀もあるようだ。

刀工の、文化財指定されてない刀の値段の参考資料として

日本刀価格総鑑 : 古刀・新刀 / 刀剣春秋社編 /徳間書店/1963

・長義 七百万円

・国広 五百万円

 

刀工大艦/得能一男 著 /光芸出版/平成17年

堀川国広 2500万

・長義 2000万

 

※重要美術品、重要文化財、国宝指定されてる刀は参考価格とは異なる。

 

堀川国広氏は新刀の祖と呼ばれている刀工の1人。重要文化財の数が新刀で最多の12振ある。(次点明寿氏が5振、虎徹氏が5振、繁慶氏が3 振)

新刀の中では虎徹と並んでトップクラスに刀の価格が高い刀工となる。

 

 

 

 

 

山姥切国広と本作長義の相違点

本科が現存していて、国宝or重文の刀となる写しは山姥切国広だけではないだろうか。

 

料理の本の写真を見せてこれを作ってほしいと客に依頼されたプロの料理人が、

材料とか作りかたを考え、客の好みに合う味に合わせしつつ、見栄えや栄養もプロがより良くなるよう考えて作ったら本通りに作るとは違う魅力のある料理ができた。その料理が素晴らしくて特別な名前をつけた。といった感じだろうか。(その後本に載った料理の方の名前だと勘違いした人が出るが、出版元が誤情報であると訂正された。)

f:id:fumikirimae:20190827020654j:image

写しなのだからそっくりそのまま写すことのみが評価になると思っている人とか、写しは本科を超えならないと言ってる人もいるが、

山姥切国広は、本科と違う(あえて堀川国広氏がアレンジしたところ)も好意的に良いと捉えられてる。

 

"しかも単なる模作ではなく、地刃の働きと、すすどしさは長義をさらに強調し、放胆の味さえ加わって長義の作中にあっても出色のものと云い得よう"(堀川国広とその弟子)
 

"本品(長義)と山姥切の両者は峰の形状と樋先の位置関係などは正確だが、反りを含めた全体の姿形と、茎仕立てはあまり似ていない。当時の刀工が持つ写についての意識と、現代の復元模造に対する意識の違いが表れていて興味深い"(京のかたな 特別展 図録)

 

昔は写しも、作成する刀工のオリジナリティを活かした、一つの作品だったそうだ。だからこそ、山姥切国広は写しの傑作ではなく、国広の傑作なのだろう。

そういえば、蛍丸の写しを作成された刀工も、自分らしい蛍丸を作りたいと言われていた。それが、本来の写しというものなのかもしれない。

 

つるぎの屋さんが詳しく解説されていた。

違いを色々解説されている。

山姥切国広には1本の刀として美しく見えるようカーブを変えてある。実践向けに折れにくい刀となるように焼きを低くするなどの創作工夫がある。

長義の波紋は心電図のような規則正しさがある。

ツイートまとめはこちら

https://t.co/2QqViNCMQz

 

私は足利と京博で両方見たのだが、山姥切国広の波紋は、険しい山々を彷彿とさせると思った。

山姥切国広は切っ先が大きく、打刀としては幅広であり大きめの(その大きさに反して厚みは薄い)かっこいい刀だ。比較することにより、長義の方が大きくどっしりとして、山姥切国広の方がすらっとしてメリハリがあるというように、見方に変化があった。堀川国広氏の刀を作刀するときの心構えや技術や創作工夫がわかる。

 

堀川国広に写しの作成を依頼した、当時の堀川国広氏の上司にあたる長尾氏が、山姥切国広の出来を大層気に入って長義の刀にも銘入れを頼んだという。

 

(本作長義は)その出来もさることながら、茎に刻まれた長文の切付銘が何にも増して貴重である(京のかたな 特別展 図録)

 

柳生長義と長尾長義。長尾長義は国広が銘を切って重要文化財になった。(2017/3/20 足利 ワークショップ)