空想上の生物を切るのは古刀だけ?

と言っている人がいた。出典元は名刀幻想辞典というサイトだろう。

 

しかし「怪談と名刀」という本に、新刀の刀で化け物退治をした刀がいくつか載っているという情報を拝見した(博識なTwitterの方に感謝)。

時間がある時に調べてみよう。

※調べてみた。

 

①七股政常 / 相模守政常入道 慶長二年八月日(1597年)
人間に化けた大狐を退治した刀 


②倉敷國路 / 出羽大掾国路 
大蛇を退治した刀

国路氏は堀川国広氏の弟子


③巢仙國廣 / 堀川国広 元和二年八月日(1616年)
化け狸を切った刀

(元和二年って推定されてる堀川国広氏の死去の年の二年後)
 
④有馬包國 / 駿州住包国造 慶長十二年八月日二尺三寸八分(1607年)
大河童を退治した刀
 

といった感じで本当に新刀で妖怪切りの逸話を持つ刀の話が載っていた。

 

新刀の時代は

・慶長元年(1596年)から終わりは

安永末年(1781年)

宝暦13年(1763年)

明和元年(1764年)

と色んな説があってとりあえず1763年にしておく。

 

この本は面白い。明治に入っても妖怪の逸話は出る。現代人も妖怪の話好きだし新刀に妖怪切りの刀があっても全然変じゃないわ。

この本、元々は昭和十年発行の本だが、再販されて今はkindleで買えるし刀の逸話に興味があったら是非。

 

怪談と名刀 (双葉文庫)

怪談と名刀 (双葉文庫)

 

------------------

解決したので以下は読まなくていいです。

 

https://meitou.info/index.php/山姥切

この仮説についての疑問メモ。

 

前提の資料がない

このサイトは山姥切国広より先に長義が山姥切と呼ばれていたこと前提の話が多いが、その前提を裏付ける資料が提示されていない。

長義の場合、山姥切国広の号が登場するまで山姥切と呼ばれてなかった証拠がある。

それが長義のご実家の古帳記録で、他の号付きの刀と違い、長義は一度も山姥切と書かれていない。(長義の刀をいついくらで購入したという資料はある)

 

戦国時代なら、実際の人を切った号由来の刀が沢山ある、とも言えない

化け物を斬ったという号はほとんど古刀にしかつかない理由として

・戦国時代には実際に人を斬る機会が増えたこと

・戦国末期に登場した死体での試し斬りが元和偃武以降は「御様御用」として確立・制度化したこと

をあげている。つまりこのサイトは、

・戦国時代の刀は、実物の人(生物)を切った号になる

・戦国時代に山姥切という号が生まれた

と想定しているわけだ。

なので、実在する生物を切った号を持つ新刀を探してみた結果

虎徹→石灯籠切虎徹

井上真改→籠釣瓶

など無機物を切った刀は見つかったが、実在生物を切った号の新刀が見つからなかった。戦国時代は実際に人を切っていたからといって、実在する生物を切った切れ味に由来する号持ちの新刀自体、殆どないと思われる。

 

山姥切という号は割と最近できた説

号は後世呼ばれる刀へのニックネームなので、どの刀も必ずしも生まれつき持ってるわけではない。最初から号付き前提で話を進めるのではなく、いつ頃呼ばれだしたか、その検証は必要だ。

山姥切国広も、長義も、どちらも作られた当初、山姥切じゃなかったと思われる。

 

号は作られてから何百年も経ってからつくことがある。

例えば浦島虎徹

浦島虎徹という号が生まれたのは、昭和名物になったときである。

浦島虎徹という号の由来は、刀に釣竿を背負った空想上の人物、浦島太郎が彫られているため。

しかし、小笠原信夫の「名刀虎徹」によると、浦島虎徹の彫り物は実は釣竿を背負った浦島太郎ではなく、孟宗竹の由来ともなった筍を背負った中国の孝行者・孟宗だったという説が有力らしい。

このように近世になってファンタジックな号がつくことはある。作られた当初そんな意図がなくても。

ほかに三日月や小狐丸という号も、室町時代になってから生まれたという。

 

号付きの新刀は少ない?

まるで堀川国広に号付きの刀が特別少ないかのように書いてあるのが変(布袋国広や山伏国広は地名人名以外の号でいいのでは?)

新刀の刀は古刀に比べれば号のついてる刀自体少ないし、空想上の、生き物を、切った刀、なんて、3つも具体的条件つけたらそりゃほぼヒットしないのでは。

新刀に妖怪切りの号あり得ないっていう仮説は乱暴だよな、と思う。